沖島漁業組合
沖島最大の産業である漁業の拠点です。沖島通船で沖島漁港に降り立つと最初に目に入ってくる場所が、ここ沖島漁業組合です。
大きな建物の中に組合の事務所と広々としたスペース、このスペースには常時長テーブルとパイプいすがずらっと並んでいて自由に?休憩することが出来ますよ。
そして、沖島で唯一?のお土産が買える場所でもあります。
お土産には、地元で作られた足袋や琵琶湖で取れたうろりや小鮎のつくだ煮など、沖島漁業組合の婦人部『湖島婦貴の会』の方達が作った沖島の味がお持ち帰りできます。
また、事前予約すれば、湖島婦貴の会の皆さんが作る食事も堪能できますよ。
ご予算に合わせて作ってもらえるので、沖島に行かれる際は是非ご予約ください。
沖島漁業組合・湖島婦貴の会連絡先:0748-33-9511
沖島小学校
明治の学制発布により西福寺内に開設されたのが始まりで、明治42年に旧校舎地に移転、平成7年には現在の地に新築移転されました。小学校の給食は沖島自治会が運航している沖島通船に積み込み、
当番児童がリヤカーを使って学校まで運びます。中学生は昭和39年に分校が本校に統合されてからは、現在では沖島通船で通学しています。
平成27年度現在、沖島小学校の生徒数は、12名です。小学校の教員数は8名ですから、きめ細やかな教育が行われています。さらに、沖島小学校は特定認定校となっていて、近江八幡市のどの地区からでも通学できるんです。
寺社仏閣
西福寺
西福寺は、文明の初め(約540年前)蓮如上人に帰依した茶谷重右衛門が得度を許され、「釈西了(しゃくさいりょう)」の法名をいただき、島の北東に庵を建てたのが始まりです。
宗派は「浄土真宗本願寺派」で、天保十三年(1843年)に現在のところに本堂が建立され、今に至っています。
願証寺
元禄5年下寺開基帳、永世十四年(1517)年草創で、開基は、真教(西居氏)釈願証。
沖島の住人西居某が蓮如上人に帰依し、法名を釈願證と授けられたことに始まります。
奥津島神社
元明天皇の勅使のもとで和銅5年(西暦712年)、藤原鎌足の子、右大臣淡海公藤原不比等により、社殿が創立されました。
その起源は舒明(じょうめい)天皇にあると言われます。
奥津島(瀛津島)神社には奥津島姫命(おくつしまひめのみこと)が祀ってあります。竹生島には湍津姫命(たぎつひめのみこと)、多景島には多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)が祀ってあります。この三神は、天照大神が天の真名井(琵琶湖)に生んだ三神で、ここから近江高天原説が生まれるのです。
奥津島(瀛津島)神社を真ん中にして、一線上に並ぶのは“白髪神社”と“日牟礼神社”です。
湖西に鎮座する白髪神社(祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)) の鳥居は、湖中に建てられていますが、神額が両面に揚げられており、その形態は他に例を見ません。よって白髪神社を拝する場合は、湖上から遥拝することになりますが、陸地から拝するのは、鳥居が真正面に位置する沖島です。
弁財天(厳島時神社)
沖島弁財天気によると、享保十九年(1734)年から五十年前、天台宗常安寺があった。そこに戸次權左衛門、源新平によって、天女像を安置した、と記されている。島の住民は、雨乞い弁天として信仰してきた。『弁天記』は彦根の曹洞宗長松寺にある。
山神神社
明治初期石材採掘が盛んになり、石工が島に渡ってきたとき勧請したものと伝えられ、採石場で怪我人が絶えなかったため新たに現在地に造営を行い、神霊をそこに遷したのであり氏神同様、春秋二回の例祭を行っている。
宮氏は氏神宮氏深井氏がかねていて、祭礼時の当日は、神前で巫女の湯神楽が現在も行われている。
※内容の一部は小川四良著の『沖島に生きる』から引用させていただきました。